はなみずにっき

はなみずぐらいのブログ    コピーライター/脚本家

いとしきリビドー

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社会人2年目ぐらいの時の話。
女の子ばっかり見ちゃう時季があった。

あんな子やこんな子と、あんなことこんなことしたいとか。
あんな夢こんな夢いっぱいあるけどー、なんて。
すげー不毛な妄想ばかり。

彼女とか親しい女子がいたら実現できたかもかもだけど、
そういうのも一切ないから男子シングルにふけるのみ。

じゃあダブルスできるようにいっぱい努力して
「あんなこととんなできるような男になれよ!」と
熱く語るドラマティックな説教はノータッチね。

これはいわゆるリビドー(性的衝動)の問題だから。

世間一般的には、リビドーという言葉は押さえきれない性的欲求のようなものを指して使われる。特に男性の荒々しい露骨な性的欲求を表現する言葉としてしばしば使われ、また時には男性の性的欲望を軽蔑する意味合いの言葉としても使われる。

リビドー - Wikipedia

 

心理学的な難しいことは置いといて、とにかく何するにしても女の子と遊びたい願望しかないわけ。

仕事のための情報収集で、かわいい女の子が載ってそうな記事はほいほいリンクしちゃう。
サンプルで画像収集する時なんてやばいよね。
いかに適した画像かを探すより、
いかに性的衝動を満たせそうな女の子の画像を探してたから。


このあたりになると意味不明な逆転の境地になって、
着衣の方がそそられたりするわけ。
もちろん、職場でおっぱいぶりーんな画像を見てるとアレというのもあるけど
着衣だからこそ描ける理想というか。人間の脳内補正機能はすごい。

とまあ、話はそれてしまったね。

 

何かと気を取られて仕方なく、集中力や作品づくりにいろいろ支障きたすので、
極力そういうことは考えないようにした。
なるべく、そういう情報が入ってこないようにシャットアウト。

 

質素な生活と、地味な食事と、仕事の集中と。
ベジタリズム、ミニマリズム、シンプリズム。

 

そしたら、なんと性欲がなくなった。

 

「女なんて興味ねえ」ていうバリバリ硬派な部活男子みたいに。

 

これよこれ、理想の極地。

 

清廉と澄み切った、卑しい欲を排除した世界が広がっていた。

 

0と1で構築されたデジタルの空間が、
これほど洗練されて美しいものとは。

 

バラエティ番組の喧騒、バズるネットニュース、くだらない雑談でゲラゲラ笑う同僚。
あらゆるものがくだらなく思えた。

 

しかし、成功したと思えたのはわずか数日。

 

それどころか、仕事の成功、作品の美学、人生の目的、
それらも無意味に思えてきたのだ。

 

世の中はまばゆい光に包まれたようで、
かえって明度をあげすぎて白飛びするように焦点を失っている。

味気ないモノクロのフィルターに遮られていたと言っても良いだろう。

 

 

すべてに、魅力がない。

 

 

五感が機能しない。

 

 

意味が、ない。

 

 

これはかつて足を取られかけた、うつの世界観と同じである。

 

無気力、無価値、無目的。

 

すべてが、ないのである。

 

 

その閉鎖的空間に恐怖を感じ、はじめて人の性(さが)を知った。

リビドーは、いとしい。

 

性的衝動、脳内麻薬、精神統一。

 

適切にコントロールしなければ、身を滅ぼすことを知った。

 

それからは適度な性欲も肯定するようにした。

ムダにストイックな精神は、欲をもなくす。

 

悟りの世界は、人生やりきったと思える時まで保留にしとくわ。