似てる、という悲劇。
ふとアニメを観ていたら、オープニング曲で聴き覚えのある歌声がした。
「あれ、甲本ヒロト?ブルーハーツ時代の歌い方に戻した??」
と思ったら、まったく知らないバンドだった。
歌声が誰かと似ている。これは、紛れもなく悲劇だ。
メロディやサウンドが似ることは避けられないし、意図してる部分もあるだろうからOK。でも声という天性のものが似てしまうと、新鮮さや個性を感じられなくてモヤっとする。
本人がリスペクトしていて、
あえてマネしているならナンセンスだからスルーできるけど
自覚がないパターンは同情しかない。
なぜ、「似てるね」と言ってあげないのだ。
自分の声は自分で認識しているものとズレがあるから、周りが言ってあげないと気付かない。
その人の声を聴いた瞬間、別の歌手が連想される。
そして無意識の比較検討のうちに下される非情な評価。
心理学で言うところの「アンカリング」。
アンカリング(英: Anchoring)とは、認知バイアスの一種であり、先行する何らかの数値(アンカー)によって後の数値の判断が歪められ、判断された数値がアンカーに近づく傾向のことをさす。
これじゃあ素直に聴けない。
歌手への印象も、似ている歌手への思い出も、聴いてる人の思考にも、ノイズが入る。
アマチュアのストリートミュージシャンなら、なおさら。
プロを目指す以上、誰かとカブるのは致命的。
意図せずオリジナリティが損なわれて、作品としての価値が下がってしまう。
これは歌声に限らない。
アート、広告、キャラクターなどなど
クリエイティブ&ものづくり関係のすべてに言える。
厳密に考えると「真のオリジナルは皆無」という議論ももちろんあるよね。
でも客観的、公正的な判断で似ていること
そして
どちらも意図が同じであること
が認められれば悲惨だ。
パクリ問題が騒がれやすい昨今において、
時にはピュアな無自覚が悲劇を生む。
資料研究や競合調査に溺れるのも危険だけど、
それに救いの手を差し伸べられるのが本当の味方だ。
クリエイティブを、自己満足にしないように。
「似てるね」という指摘は、
きっとやさしさにつながるのだろう。