はなみずにっき

はなみずぐらいのブログ    コピーライター/脚本家

世界一の剣を持つ男

(これも学生時代に考えたネタです。最後まで書ききる力がなく、ムリヤリまとめた感がハンパないので戒めがてらに公開します。)

 

世界一の剣を持つ男がいた。
彼の持つ剣は、強さも大きさも形も耐久性も
あらゆる意味で世界一だった。

誰しも彼の剣を欲しがったが、
彼は自分の身体の一部なので渡せないと拒んだ。
誰しも彼の剣を羨ましがったが、
彼は、自分の剣が世界一だとは気付かなかった。

なぜなら、彼は世界一の剣を常に服の下に隠していて
他者と比べようがなかったことは元より、
その剣の威力をもってしても敗戦を喫することが多々あったからだ。

「いつかこの剣を使って、最高の戦いをしたい」

彼の夢は、健全な青年が持っている野望そのものである。
握りしめて剣には若さや勢いがほとばしり、
鮮やかな情熱の色や生命の神秘を謳歌せんとする鼓動を帯びていた。

そんな彼が三十路に差しかかったある日のこと、ふと気付いた。
「世界一の剣を収める鞘がない」と。
今までは間に合わせのもので何とか隠してきたけれど
良い大人となった今、周囲を見るとしっかり鞘を収めているではないか。
いざ、ちゃんとしたものを用意しようと思ったらどの鞘も小さすぎる。
大きいものは収まりが悪く、安物だとすぐに壊れてしまう。

最高の戦いをする前に、
最高の鞘を見つけたい。

そんな想いで日々修行を続けていた。
清潔感が大事と言われたら身だしなみを整え、
センスが大事と言われたらあらゆる審美眼を養い、
ユーモアが大事と言われたら世界中の一発ギャグを習得し、
インテリジェンスが大事と言われたら新書の類を読みあさった。

最高の鞘を求めて修行をすること数十年。
世界一の鞘は、いまだに見つからない。
男は年老いていった。
初老といって差し支えない年齢に達した。

しかし、世界一の剣の切れ味は衰えない。
むしろ中年になってからというものの、
若者から対戦を申し込まれることも少なくなかった。
権威や財力、そして落ち着きといった
若者がどれだけ切望しても手に入れられない人生経験から生まれる余裕。
同輩と切磋琢磨するより受ける痛手やコストは大きいが、
若者との戦いが至上の悦びであることは確かだった。

壮年期を超えた今、彼の生き甲斐の
半分以上を占めていたと言っても良いだろう。
逆を言えば、同世代からは相手にされなくなっていたが
男も同世代の新規開拓にはそそられなかった。

いつか、若者と、最高の戦いをしたい。

周囲の者は着実に自分の剣に合った鞘を見つけ、
社会的地位を得て、仕事で成功し、家を持つようになった。
かたや、世界一の剣を持つ男はどうだろう。
いまだ世界一の剣の荒ぶる勢いを止められず、
若者を傷付けるだけの日々だ。

今さら鞘を見つけようと思っても、時すでに遅し。
鞘に収めたらこの剣はおろか、自分自身も萎えてしまうことは明らかだ。

彼は戦い続ける。
鞘を諦め、常に若者との対戦によって
生の価値を実感すること。

世界一の剣は、今なおどこかで輝きを放っている。
そして世界一の剣を持つ男も、今なおどこかで対戦相手を探している。

これは喜劇だろうか。
これは悲劇だろうか。

その答えは、誰にもわからない。