はなみずにっき

はなみずぐらいのブログ    コピーライター/脚本家

監督の役割は「最大化」と「責任」

監督と呼ばれる仕事はいろんな業種にあります。
スポーツにも、クリエイティブにも、建築関係にも。
「プロデューサー」やら「ディレクター」やらも含めると
世の中の大半の仕事には「監督」がいますよね。

そんな監督連中に
「あんたの仕事は何なんだよ!偉そうに指示とかダメ出しとかだけして、
客とチャラチャラ話して部下をいじって、さぞ楽しいだろうな!!」
て言いたい時、ありませんか。

私はあります。
というか、言ったことがあります。

すると、これまた偉そうに
「始めと終わりを担当するのがディレクターの仕事だから」とか言ってました。

要するに、オリエン(仕事の概要と本質をヒアリングすること)と
プレゼン(最終的なアウトプットをクライアントに発表すること)が
ミッションだと言うんです。

当時はふーんて納得しました。
でも、いま改めて思うのは「それだけかい!」てこと。

オリエンもプレゼンも、その人じゃなきゃいけないことなんて滅多にないです。
営業さんだっていいし、手を動かした本人だっていいし、
そもそも誰が動いたって責任問題は一人ひとりに発生するもの。


ん、なんかグダグダ長くなりそうだから
結論言おう。


最大化とは

プレーヤーさえいれば、あとはみんなが勝手に動いて仕事は終わります。
例え指示がなくても、客とか相手がいれば
各々が最善を尽くしてゲームをつくることはできます。

でも、それだと勝てない。
最低限の結果しか出せない。

全員の意志を揃えて、最大限のパフォーマンスと
効率的なマネジメントをしないと目的の達成は至難の業となります。

ぶっちゃけ、漫画とか原作のあるコンテンツを映画にしようとした時に
映画監督は誰がやってもある程度の作品には仕上がるじゃないですか。
でもそこに、監督の個性とか原作の相性とかいろんな要素が絡まって
作品の魅力を最大限に引き出す能力が求められるんですよ。これが「最大化」。

責任とは

で、もういっこの「責任」。
これは仕事の時もそうだけど、
ありとあらゆる場面で選択という行為をしなきゃいけないわけですよね。
それをプレーヤーがいちいち考えてたら動けない。

野球のバッターで言ったら、ここはバントするべきかエンドランにすべきか、
あるいはヒッティングか、一発を狙うか、とか。

デザイナーで言ったら、ここの色はどうしよう?形は?大きさは?
使う写真はこれで本当にいいのかな?とかとか。

選択肢の数だけ迷いが生まれて、本当の目的を達成する前に
不正解の道へ突き進んでいっちゃうかもしれない。

動きながら考えるっていうのは結構なストレスです。
それに合理的な理由と説得力のある主張と信頼に足る経験を積み重ねた上で、
一つひとつのアクションをしていかないといけません。

もちろん、ある程度のセオリーがあって、みんな勉強とか練習してるんだけど、
もし失敗した時に理由を説明するのは結構しんどい。

だから逆に無難で無難で、て行っちゃうかもしれないしね。

だから、監督は始めから指示する。そして責任は全部負う。
だから、プレーヤーは全力で目の前の仕事に集中できる。
だから、目的が達成できる。

こういうロジックになるんじゃないかと考えました。

つまり、監督はミッションを最大化させる使命を持ち、

成功への責任を負える人じゃないといけない。


やべ、めっちゃ長くなっちゃった。
ぼちぼちディレクターの仕事が増えてきたので
これを自分にも課してがんばることにする。