はなみずにっき

はなみずぐらいのブログ    コピーライター/脚本家

うんちとうんこの定義とは -砂山のパラドックスとなぞらえて-

いきなりですが、砂山のパラドックスって知ってる?

簡単に言えば、の山があったとき、そこから数粒の砂を取り去っても砂山のままだが、そうやって粒を取り去っていったとき、最終的に一粒だけ残った状態でも「砂山」と言えるか、という問題である。

砂山のパラドックス - Wikipedia


要するに、
「定義が曖昧なものはどこからがそれで、どこからがそれじゃないかとか
ぶっちゃけまあ、よくわからんよね」
てな感じ。

きたない話で至極恐縮ですが、
これは「うんこ」と「うんち」にも言える。

あー、いや、ちょっと待って。私は別にそういう趣味はないから。

純粋に考えてね。ピュアっピュアなハートを持ってね。
じゃあ、改めて進めますよ。

「うんこ」と「うんち」はちがうじゃん。
うんこはほら、なんというか健康的というか男性的というか
硬そうじゃないですか。ギャグ要素を帯びながらもパワフルなイメージ。
たぶんすぐ笑う。
色で言ったら黒とか濃い茶。まあ、くさいですけど。

それに対して……
いや、すみません、あの、別に私は下ネタ大好きマンじゃないですから。
普段はすんごいクールキャラですからね。
仕事中とか基本喋りませんよ。
まあ、家でもそうなんですけど。友達いないから。えへん。

え、何の話かってそりゃうんちですよいいですか。
うんちはもっとこう軟らかいというか女性的・幼児的というか。
適度な恥じらいや奥ゆかしさ、かわいらすらまとってます。たぶんすぐ泣く。
色は薄茶ですよね。まあ、くさいですけど。

え、男女差別だって?
うんこが硬くて男性的で、うんちが軟らかくて女性的というのは
性差別だって?

いや、そもそもちょっと待ってください。
私うんち触った記憶ないんで果たして本当に硬いのか軟らかいのかは
疑念が残るのも真っ当なご意見なんですけど、
ここはいったんそのイメージで進めましょうよ。

で、どっちも定義なんてないわけです。
色がなになに以上だったらうんこ、軟らかさがなになに以上ならうんちとか。
わかんないすよ、実際は国立便学研究所みたいなのがガイドライン定めてる可能性も
0ではないよ。国立先端便学研究開発機構所長みたな人が長年の大便研究の末にノーベル賞ものの発見をしてるかもしれないよ。

でもそういうのはいったん、置いておこうじゃないか。

言語的に「うんこ」と「うんち」に定義というかちがいはないにも関わらず、
我々は「うんこ」と「うんち」の微妙な差異を感じ取れるんです。
本質的にはまったく同じなのに。

これってすごくないですか。

色はたいてい、教わるじゃないですか。
「これは赤だよ。これは青だよ」って。
でも大便について教わりますか?

「これはうんこだよ、これはうんちだよ」って。
おそらく幼少期にほとんどの人は
「これはうんちっていうんだよ」と教わったことでしょう。
でもうんこはどうですか。
「これはうんこっていうんだよ」と教わった記憶を持つ人など稀なのでは。

これは男子の一人称にも似ていますね。
小さい頃は、基本的に「ぼく」という子が多いのですが
いつしか(ほとんどは小学校で)「おれ」になるのです。
本質的にはまったく同じなのに!

うんことうんちは自我の人称あるいは認証構造にも関わっているのかもしれませんね。
その先にあるもの、もしくはないもの。
探求心に理由は必要ありません。
自我と排泄物というロミジュリ的な格差を超えて、
我々は無限に等しいカルマとイデアの幻想から
解放される日がくるのでしょうか。

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その答えは、まさに「空想」の産物と言えることでしょう。