はなみずにっき

はなみずぐらいのブログ    コピーライター/脚本家

サイゼリヤのカルボナーラ

飲食店で料理名を言うのって、なんか恥ずかしくないですか。
ていうか何でもフルネームで言うのはためらいませんか。

 

会話の中で妙なフルネームが出てくると
「まだるっこしいな!」と思っちゃいます。

 

例えば、好きなバンドありますか、て話になった時に
エレカシです」て言えばいいのに
エレファントカシマシです」て言われると反射的に
エレカシでいいじゃん!」てツッコみたくなる。
「マジメか!」みたいな。「プレスリリースか!」みたいな。

 

めんどくさいっていうのも半分あるけど、そんなこともあって
飲食店で注文する時は極力省略しがち。
「(メニューを指差しながら)この定食で」
みたいに済ませちゃう。


で、先日。サイゼリヤに行った時のこと。
同じように
「このカルボナーラを」と注文した。
店員「カルボナーラですね、かしこまりました」
なんつって。

 

ほどなくして運ばれてくるカルボナーラ
店員「カルボナーラです」
わお、めっちゃうまそ。あざすあざす。てな感じで。

 

2秒ぐらいかな。ペロリとおいしくいただきました。

 

その後は軽く仕事を済ませて
お冷をもう1杯もらってから帰ろかなー、なんてなごなごしてた時です。

 

隣のテーブルに、ある料理が運ばれてきました。

 

店員「半熟カルボナーラです」


え、ちょ、ちょっと待って!
は、は、は、は、半熟……!?

 

カルボナーラと!

は、は、は……!半熟卵のカルボナーラはちがうのか!!

 

慌ててメニューをひらく。

 

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あるやん!!!

ありよるやん!!!!

 

カルボナーラが!2つ!あり、おり、はべり、いまそかり、やん……!!!!

かろ、かっ、く、い、い、けれ、まる、てかおい!

 

なぜ気付かなかった!
隣にあるのに!なぜ!!
貴様はそんな視野狭窄になるほど飢えていたのか!
さもしい!見苦しい!!情けない!

 

半熟あんだったら半熟の方が2億倍良いじゃん!

 

なぜ!なぜ!なぜ!

 

牛丼にもかかさず半熟を付ける俺じゃないか!!

 

なぜ!なぜ!なぜ!

 

憤慨した所でどうにもならないので、
お腹が空くまで待ったろかな!なんて。
妙なリベンジを思い立つ。

 

そんでパソコンいじいじしてたら
あっちゅうまに閉店時間よ。

 

結局私は半熟カルボナーラへの憧れに胸を焦がしながら深夜帰宅して、
煮え切らない想いを持ち帰っただけなのでした。

 

それでも好きです。サイゼリヤ
それでも好きです。カルボナーラ

監督の役割は「最大化」と「責任」

監督と呼ばれる仕事はいろんな業種にあります。
スポーツにも、クリエイティブにも、建築関係にも。
「プロデューサー」やら「ディレクター」やらも含めると
世の中の大半の仕事には「監督」がいますよね。

そんな監督連中に
「あんたの仕事は何なんだよ!偉そうに指示とかダメ出しとかだけして、
客とチャラチャラ話して部下をいじって、さぞ楽しいだろうな!!」
て言いたい時、ありませんか。

私はあります。
というか、言ったことがあります。

すると、これまた偉そうに
「始めと終わりを担当するのがディレクターの仕事だから」とか言ってました。

要するに、オリエン(仕事の概要と本質をヒアリングすること)と
プレゼン(最終的なアウトプットをクライアントに発表すること)が
ミッションだと言うんです。

当時はふーんて納得しました。
でも、いま改めて思うのは「それだけかい!」てこと。

オリエンもプレゼンも、その人じゃなきゃいけないことなんて滅多にないです。
営業さんだっていいし、手を動かした本人だっていいし、
そもそも誰が動いたって責任問題は一人ひとりに発生するもの。


ん、なんかグダグダ長くなりそうだから
結論言おう。


最大化とは

プレーヤーさえいれば、あとはみんなが勝手に動いて仕事は終わります。
例え指示がなくても、客とか相手がいれば
各々が最善を尽くしてゲームをつくることはできます。

でも、それだと勝てない。
最低限の結果しか出せない。

全員の意志を揃えて、最大限のパフォーマンスと
効率的なマネジメントをしないと目的の達成は至難の業となります。

ぶっちゃけ、漫画とか原作のあるコンテンツを映画にしようとした時に
映画監督は誰がやってもある程度の作品には仕上がるじゃないですか。
でもそこに、監督の個性とか原作の相性とかいろんな要素が絡まって
作品の魅力を最大限に引き出す能力が求められるんですよ。これが「最大化」。

責任とは

で、もういっこの「責任」。
これは仕事の時もそうだけど、
ありとあらゆる場面で選択という行為をしなきゃいけないわけですよね。
それをプレーヤーがいちいち考えてたら動けない。

野球のバッターで言ったら、ここはバントするべきかエンドランにすべきか、
あるいはヒッティングか、一発を狙うか、とか。

デザイナーで言ったら、ここの色はどうしよう?形は?大きさは?
使う写真はこれで本当にいいのかな?とかとか。

選択肢の数だけ迷いが生まれて、本当の目的を達成する前に
不正解の道へ突き進んでいっちゃうかもしれない。

動きながら考えるっていうのは結構なストレスです。
それに合理的な理由と説得力のある主張と信頼に足る経験を積み重ねた上で、
一つひとつのアクションをしていかないといけません。

もちろん、ある程度のセオリーがあって、みんな勉強とか練習してるんだけど、
もし失敗した時に理由を説明するのは結構しんどい。

だから逆に無難で無難で、て行っちゃうかもしれないしね。

だから、監督は始めから指示する。そして責任は全部負う。
だから、プレーヤーは全力で目の前の仕事に集中できる。
だから、目的が達成できる。

こういうロジックになるんじゃないかと考えました。

つまり、監督はミッションを最大化させる使命を持ち、

成功への責任を負える人じゃないといけない。


やべ、めっちゃ長くなっちゃった。
ぼちぼちディレクターの仕事が増えてきたので
これを自分にも課してがんばることにする。

8月につくったものまとめ

【仕事】
水道業者の事例紹介マンガ(シナリオ制作)
イベント企画会社のコーポレートサイト記事企画
サイト記事の対話形式にして編集するシナリオ制作
イオンリテールのファッション関係POPコピー制作
インテリア会社の製品カタログライティング

なんだか公表できない仕事ばっかで気後れしちゃうな。。。
もっとアピールすればいいのにね。

【公募】
●2016 スポーツ写真・絵画・川柳コンテスト

2016スポーツ写真・絵画・川柳コンテスト


●サンレー川柳コンクール


●第5回 伍魚福 家飲み川柳


●第10回 かまぼこ川柳コンテスト

第10回 関屋蒲鉾 かまぼこ川柳コンテスト│関屋蒲鉾株式会社


●第7回 「税金をテーマに川柳大募集!」

■ 武蔵府中法人会 税金川柳


マスコットキャラクターネーミングコンテスト


多目的ホール(仮称)の愛称を募集

http://www.town.agui.lg.jp/contents_detail.php?co=new&frmId=3293


●観光立国川柳コンテスト

観光立国川柳コンテスト2016


FM香川 CMコピー大賞2016~応募した瞬間、あなたもクリエイター~(814日)

FM香川 CMコピー大賞2016


●第5回 松岡モータース 川柳大喜利


●第1回 HOME’S住まいの川柳


●フルーツトマト「ぎゅ~っトひとりじめ」キャッチコピー募集"


●「五七五の小説工房」 第3回 俳句募集


●第10回 水城川柳コンテスト

第4回 水城川柳コンテスト 作品募集|松本市 水城漬物工房



●「エコ川柳を投句して、市役所に展示しよう!」作品募集

http://www.city.funabashi.lg.jp/machi/kankyou/004/p029893.html



●第8回 元気はつらつ川柳

http://www.city.ichinomiya.aichi.jp/kurashi/kourei/1011547/1014629.html





【創作・ネタ】

【1枚でわからない!】桐島、部活やめるってよ

 

●【4コマ】はひふへ


【4コマ】ヒップホッペスト健

 

●【4コマ】燦然と5円

 

●【4コマ】擬音祭り

 

●【4コマ】ガリガリくん

 

なんつっ亭なおや



●【4コマ】ピュグラレジョンジー

 

【4コマ】スーパーサックローディ

 

先日からクラウドワークスさんに出向?常駐?ていう形で出勤してます。
みんな意識高い人ばっかりで、私みたいなフリーのゆるゆる人間がついていけるかはびみょ。。。
でもがんばるぞい!

 

 

ほなほな!

【読書感想文】小学生の俳句歳時記 ハイク・ワンダーランド

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小学生の俳句歳時記
ハイク・ワンダーランド
金子 兜太監修 あらきみほ編著


最高すぎる……!
ありきたりな表現だけど、感性というか着眼点というか感受性というか
子ども目線のピュアっピュアな俳句がいっぱいあるの。

なんでかね、泣けてくる。
美しさに圧倒される感じ、光景に飲み込まれる感じ、
切なさへの共感、悔しさ、それからやっぱり
子どもていう完全性を持つ生命体への尊敬とか畏敬とか憧れとか希望とか絶望とか。
なんかもういろんな感情がごっちゃになってもう
泣くしかないっていうようなね。

気に入った句をざっと並べてみます。
(いいのかな?いいよね!?だってすごい良いんだもの!!)

やぎさんが秋のゆう日を食べている

 

いじめなどしらないとんびたかくとぶ

 

天国はもう秋ですかお父さん

 

台風が海をねじってやって来た

 

あじさいの庭まで泣きにいきました

 

赤とんぼおくれた一ぴきぼくみたい

 

ごみばこもごろんとねているなつやすみ

 

ゴムとびで開くスカート見ないふり

 

番号のないユニホームにも夏陽射す

 

わたしはほ欠すわってあせをかいている



衝撃の強さがハンパないよね。
先生になりたくなるよ。
こういう子どもと人生楽しみたい。

あと思ったのは、全体的に切ないのが好き。
いじめとか、泣いちゃうのとか、一ぴき遅れちゃうとかほ欠とか。
そういう弱者にしか見えない世界の美しさってあるんだよね。

でもそれを悲しいとかイヤだとか
かまってちゃんみたいにぎゃあぎゃあ言わずに、
慎ましく表現すること。

最高に美しいよ。

大人は変に遠慮したり、皮肉ってみたりしちゃうけど
子どもの素直なところがまた良いんだ。

ここまで繊細で美しく、瑞々しい感性は
意図的に描き出せるものじゃないよね。
素晴らしい本です。



あと全然、関係ないけど
監修者の「金子兜太」ていう人。
字面から、勝手に「春風亭 昇太」みたいな
愛嬌のある中年おじさんを想像したんだけど
がっつり大御所だった。

http://www.nikkei.com/content/pic/20150815/96958A9F889DEAEBE5EAEAE0E2E2E0E5E2E5E0E2E3E7E2E2E2E2E2E2-DSXMZO9049450013082015000001-PN1-13.jpg